彼は小さい頃から、亡くなった父の代わりに、家族を養うために、読み書きも習う暇もなく、漁に出て、嵐にあい遭難するという、理不尽な運命だったのが、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に助けられた所から、運命が逆転し、大きく開けるようになりました。

船長のホイットフィールドの養子となり、彼の頭のよさが生かされる環境を与えられました。
学校へ行き、寝る間もなく勉強し、首席となり卒業したそうですが、そこはアメリカです。すべて英語で学んだことを思うと、彼の賢さと、努力は、相当のものだったに違いありません。
彼の身に付けた、知識はその後の彼の活躍に大いに役立ったことでしょう。

彼はアメリカで暮らしていれば、何の心配もなく、裕福に暮らすことが出来たに違いありませんが、彼の中では、やはり故郷へ帰りたいとい思いが強かったのですね。

カリフォルニアで金鉱を発見して、日本へ戻るお金を作り、仲間と一緒に日本へ戻ることにするのですが、鎖国制度をとっていた、日本では、帰ってもどうなるか分からなかったはずです。

それでも、故郷に帰りたい一心で、彼は帰ってきました。

息子がいる立場の母親からの目線で見ると、そんな思いをしても帰ってきてくれてどれだけうれしかったのかしれません、そして、彼のことが、心配で仕方なかったことでしょう。

彼が遭難したと聞いた時、相当悲しんだでしょうか、漁船の遭難ですから、あきらめていたのかもしれませんし、まさか、アメリカで過ごして、こんな大物となっていたとは、驚いたでしょう。
そして、英語をペラペラと話すようになっているのですから。