彼女は、本命をホイットニー・エリザベス・ヒューストンと言います。
お母さんは、シシー・ヒューストンと言って、有名なゴスペル・グループ「スイート・インスピレイションズ」のメンバーです。
このお母さんの聖歌隊ジュニア・ゴスペル・クワイアに11歳の時に加わり、ニュージャージー教会で歌い、ゴスペルを基礎から学んだそうです。
17歳からは、ファッションモデルとしても活躍して、テレビコマーシャルにも出演してタレントとして活動しながら、母と一緒に、全米のナイトクラブをツアーしていました。
1983年ニューヨークのナイトクラブの彼女のパフォーマンスをみたアリスタ・レコードの社長、クライヴ・ディヴィスに見出されて、アリスタとワールドワイド契約を結びました。
「ザ・マーヴ・グリフィン・ショウ」というTV番組に出演し、彼女のあの勢いとパワーのある衝撃的な歌声を初めて全米ネットにて披露しましたが、それはアメリカの音楽業界では、歴史的パフォーマンスとして、語りつがれているそうです。
1985年2月アリスタから「そよ風の贈りもの」でデビューします。
初のグラミーを受賞したのが21歳で、それからも7曲連続全米ナンバーワン記録を打ち立てて、すばらしい功績をおさめました。
彼女は次々とアメリカにヒット曲を送り出していきましたが、世界中が彼女の歌声を知ったのは、1992年11月に発表した「ボディガード」ではないでしょうか。
これは、全世界で3000万枚の売上げを誇ったそうです。日本でも250万枚、アメリカで1700万枚だったそうですよ。
俳優ケビン・コスナーと女性歌手ホイットニー・ヒューストンが共演した
「ボディーガード」の映画で、主題歌にもなりましたが、
彼女の歌った「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、大好きです。
彼女は2012年2月11日にビバリーヒルトン・ホテルの4階の部屋の浴槽中で倒れており、救急隊が蘇生処置を施しましたが、48歳の若さで、午後3時55分に死亡が確認されました。
彼女は翌日のグラミー賞の授賞式のためにこのホテルに泊まっていました。
死因は、遺体からコカインが検出されたことから、その影響で、心臓発作が起こり、よくそうで溺死した可能性が高いそうです。
まだまだこれから歌声を世界に響かせていって欲しい名シンガーだったのでとても残念ですが、彼女が残した歌声は永遠に消えることがないでしょうね。